大判例

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最高裁判所大法廷 昭和32年(あ)1029号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人梨木作次郎の上告趣意第一点について。

論旨は、単なる訴訟法違反の主張であり、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。しかし、職権によって調査すると、原審が被告人の前科認定の証拠とした所論電信の訳文書及び被告人の前科調書は、いずれも、原審において、刑訴三〇五条二項による取調がなされていないことは、所論のとおりである。

思うに、累犯加重の理由となる前科は、刑訴三三五条にいわゆる「罪となるべき事実」ではないが、かかる前科の事実は、刑の法定加重の理由となる事実であって、実質において犯罪構成事実に準ずるものであるから、これを認定するには、証拠によらなければならないことは勿論、これが証拠書類は刑訴三〇五条による取調をなすことを要するものと解すべきである。従って、原審が適法な証拠調をしない証拠を前科認定の資料としたことは、違法であるが、原審は前科認定の証拠として、右書類のほかに、第一審で適法に証拠調のなされている被告人の指紋照会回答書をも、引用しており、右回答書によれば原審が累犯加重の理由であるとした前科のうち、昭和二七年七月九日被告人が横須賀簡易裁判所において窃盗罪により、懲役一年六月に処せられた事実が認められ、記録によればこれのみでも、被告人に対し再犯による刑の加重をなし得るものである。そして三犯による刑の加重も、再犯による刑の加重も、その加重の法律上の限度は同じであり、原判決に前記の如き違法があっても、本件においては原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとは認められない。それゆえ刑訴四一一条を適用しない。

同第二点は、量刑不当の主張であって、刑訴四〇五条の上告理由に当らないし、また、刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって刑訴四一四条、三八六条一項三号により、裁判官真野毅、同斎藤悠輔、同垂水克己の補足意見があるほか裁判官一致の意見で主文のとおり決定する。

本件に関する裁判官真野毅の補足意見はつぎのとおりである。

わたくしは、多数意見の結論にも理由にも賛成であるが、この判決のもつ意義は相当重大であるにかかわらず、その理由づけがあまりに簡単に過ぎるように感ぜられるから、補足のためにいささか意見を述べてみたい。

まず、ざっと判例を顧みよう。

(一)  昭和三年一月二八日の大審院判例(刑集七巻三三頁)は、法律上の一般加重条件である累犯の事実は、旧刑訴三六〇条一項(刑訴三三五条一項)にいわゆる「罪となるべき事実」ではないが、累犯の事実に基き刑を加重する場合には判文において判示することを要する。なぜならば、判決にはその理由をつけなければならないことは、旧刑訴四九条(刑訴四四条)の明定するところであって、判決に累犯の事実の判示を欠く場合には、理由不備の違法があることに帰するからである、と判示した。すなわち、この判例は、累犯の規定を適用して刑を加重しながら、前科の事実を判示しない判決は、理由不備の違法があるというのである。この判旨によれば、前科の事実は、判示することは必要であるが、証拠説明することは必要でない(罪となるべき事実でないから)、ということになるように思われる。そして、昭和九年九月七日の大審院判決(刑集一三巻一一三九頁)は、公判廷において証拠調の手続をふまない証拠により、旧刑訴三六〇条二項(刑訴三三五条二項)にいわゆる事実上の主張に対する判断を示しても違法でない、と判示している。この判旨によれば、累犯による刑の加重の理由となる前科の事実の認定は、公判廷において適法な証拠調を経ていない証拠によってなされても違法でないことになる。

(二)  昭和二三年三月三日の第三小法廷の判決(判例集二巻三号二七九頁)は、前科の事実は、刑訴三六〇条一項にいわゆる「罪となるべき事実」ではないから、必ずしも公判廷で証拠調をした証拠により、これを認定することを要しない、と判示した。そして、公判廷において証拠調をしていない前科調書にもとづいて、累犯にかかる前科の事実を認定し、この事実により累犯の加重をなしたのは違法でない、とも判示している。

(三)  昭和二四年五月一八日の大法廷判決(判例集三巻六号七三八頁)は、「前科は、法律上刑の加重原由たる事実であって、判決主文の因て生ずる理由として、判決において必ずこれを認定判示するを要するけれども、元来罪となるべき事実ではないから、必ずしも証拠によりこれを認めた理由を示す必要はなく、また証拠によりこれを認めるにも被告人の供述によることなく、一件記録中の適当な資料(本件においては被告人の原籍調書)により認定するを妨ぐるものではない。」と判示している。

さて、本件多数意見の考え方は、前記の諸判例または少くともその趣旨に反し、したがって、従来わが国で一般に行われて来た実務上の考え方と異るものである。前記の諸判例は、本件と同じく累犯による刑の加重に関するものではあるが、旧刑訴法の解釈としてなされたものであるから、本件の多数意見は、厳正な意味においては判例の変更ということはできないにしても、実質的にはそうもいい得るほどの重要性をもっている。

裁判には、理由をつけなければならないし(刑訴四四条一項)、事実の認定は、証拠によらなければならない(同三一七条)。そして、有罪判決には、罪となるべき事実、証拠の標目、および法令の適用を示さなければならない(同三三五条一項)。これらは、歴史的にみれば、裁判における専制、恣意、独断を排除し、罪刑法定主義の履践を確保する保障機能として発達したものであって、基本的人権の保障と密接な関係を有する近代的裁判法である。訴訟技術的にみれば、当事者は、これによって原判決の不当・不法を探求して上訴の理由を発見する資料とすることができるし、同時に上訴裁判所は、原判決の当否を審理判断する資料とすることができる。かようにして、裁判の公正と人権の保障を期したのである。そこで考えなければならないことは、有罪判決の重点は、有罪とされることにあるか、刑罰に処せられることにあるか、という問題である。観念的には、両者はたしかに異るし、また現実的にも、特殊の例外的な場合には、有罪判決で有罪とされながら、刑罰に処せられないことがある。刑の免除の場合がそれである(同三三四条)。しかし、原則的な圧倒的多数の場合においては、有罪とされると同時に刑罰に処せられるのである。無罪を信じまたは期待する被告人にとっては、有罪とされるかどうかが、重大な関心事であることはもちろんだが、同時にいかなる刑罰に処せられるかも重大な関心事であるといわなければならぬ。統計の示すところによれば、大多数の被告人は、犯罪事実は争わず、量刑についてのみ争うのが普通である。この種の被告人の裁判に対する関心事は、有罪とされることにあるのではなく、いかなる種類・態様・範囲の量刑がなされるかにかかっているのである。何れの場合においても刑が被告人の重大な関心事である。

そして判決の結論すなわち主文においては、刑を言渡すのである。犯罪の成立を言渡すのではない。審理の結果判決において実体的に刑が形成されることが、被告人の人権に最も重大な関係を有するものであると言わなければならぬ。

そこで、刑訴三三五条一項の趣旨を考えると、有罪判決において刑を言渡すには、被告人の人権に重大な関係があるから、訴訟手続が適正に行われたことを保障するために、「罪となるべき事実、証拠の標目及び法令の適用を示さなければならない」と定めたものと言うべきである。単なる犯罪の情状による刑の量定が、裁判官の裁量の範囲に属する限り、その情状事実を一々判示しその証拠をかかげることは、煩雑であるのみならず正確には困難ないし不可能である。が、累犯加重のように類型的な事実(前科)を前提として刑を加重する場合には、その宣告刑の中には必ず累犯のために附加された刑の分量が含まれているから、ただにその前科を判示するのみならずこれを認めた証拠の標目を明らかにし、その証拠調が適法にされている保障を明確ならしめなければならない。なぜならば、加重された宣告刑を受ける被告人の人権保障の必要があるからである。

さらに現行刑訴法は、当事者主義をとっているのであるから、前述のように被告人の宣告刑の加重に重大な関係を有する前科の事実は、当事者の攻撃防御にさらされ、適法な証拠調がなされた後に認定されることを要するものと言わなければならぬ。

つぎに観点をかえて考えよう。刑法において刑が加重されることを定めた規定には、種々の態様がある。

(一)  傷害致死、強盗致死その他におけるがごとく、一定の結果の発生を伴うことに対し重い刑が科せられる結果的加重犯がある(刑法二〇五条、二四〇条、一二七条、一八一条、一九六条、二一六条等)。

(二)  常習賭博におけるがごとく、常習としてなされることに対して刑が加重される場合がある(刑法一八六条)。

(三)  尊属殺等におけるがごとく、犯罪の対象が直系尊属である場合に、刑が加重されることを定めた規定がある(刑法二〇〇条、二〇五条二項)。

(四)  枉法収賄罪等におけるがごとく、単純収賄に加うるに「不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為サザル」という枉法の事実が存在する場合に、刑が加重されることを定めた規定がある(刑法一九七条ノ三、一九八条)。

(五)  併合罪については、刑が加重されることを定めている(刑法四七条)。

(六)  累犯については、刑が加重されることを定めている(刑法五七条、五九条)。

そこで、前記(一)の場合における“結果の発生”という事実、(二)の場合における“常習として”という事実、(三)の場合における“直系尊属”という事実、(四)の場合における枉法の事実は、何れもみな公判廷で適法な証拠調をした証拠によって認定することを要することは、誰も異議のないところである。(五)の場合における併合罪を構成する数罪の各犯罪事実は、それぞれ公判廷で適法な証拠調をした証拠によって認定するを要することは、いうまでもないところである。

しかるに、(六)の累犯の場合における“前科”という事実は、従来は前述のように公判廷において適法な証拠調を経ていない証拠によって認定されても、違法でないものとされていた。その理由は、前に触れたように刑訴三三五条一項(旧刑訴三六〇条一項)にいわゆる「罪となるべき事実」に当らない、とするにある。なるほど前記(一)(二)(三)(四)の場合における刑の加重理由となる事実は、刑法各論の各本条において規定されており、かつ形式上は犯罪構成要件である一事実の観を呈するごとく規定されているが、その実質はかかる事実の存在を前提として(かかる事実の存在せざる場合に比し)より重い刑罰を規定したものである、ということができる。この意味においてこれらの規定は、何れも刑罰加重の規定である。のみならず、(六)の累犯加重の規定は、懲役刑を定めるすべての刑法各本条に共通するが故に、総則中に定められているが、実質においては各本条においての適用を示さなければならない」と定めたものと言うべきである。単なる犯罪の情状による刑の量定が、裁判官の裁量の範囲に属する限り、その情状事実を一々判示しその証拠をかかげることは、煩雑であるのみならず正確には困難ないし不可能である。が、累犯加重のように類型的な事実(前科)を前提として刑を加重する場合には、その宣告刑の中には必ず累犯のために附加された刑の分量が含まれているから、ただにその前科を判示するのみならずこれを認めた証拠の標目を明らかにし、その証拠調が適法にされている保障を明確ならしめなければならない。なぜならば、加重された宣告刑を受ける被告人の人権保障の必要があるからである。

さらに現行刑訴法は、当事者主義をとっているのであるから、前述のように被告人の宣告刑の加重に重大な関係を有する前科の事実は、当事者の攻撃防御にさらされ、適法な証拠調がなされた後に認定されることを要するものと言わなければならぬ。

つぎに観点をかえて考えよう。刑法において刑が加重されることを定めた規定には、種々の態様がある。

(一)  傷害致死、強盗致死その他におけるがごとく、一定の結果の発生を伴うことに対し重い刑が科せられる結果的加重犯がある(刑法二〇五条、二四〇条、一二七条、一八一条、一九六条、二一六条等)。

(二)  常習賭博におけるがごとく、常習としてなされることに対して刑が加重される場合がある(刑法一八六条)。

(三)  尊属殺等におけるがごとく、犯罪の対象が直系尊属である場合に、刑が加重されることを定めた規定がある(刑法二〇〇条、二〇五条二項)。

(四)  枉法収賄罪等におけるがごとく、単純収賄に加うるに「不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為サザル」という枉法の事実が存在する場合に、刑が加重されることを定めた規定がある(刑法一九七条ノ三、一九八条)。

(五)  併合罪については、刑が加重されることを定めている(刑法四七条)。

(六)  累犯については、刑が加重されることを定めている(刑法五七条、五九条)。

そこで、前記(一)の場合における“結果の発生”という事実、(二)の場合における“常習として”という事実、(三)の場合における“直系尊属”という事実、(四)の場合における枉法の事実は、何れもみな公判廷で適法な証拠調をした証拠によって認定することを要することは、誰も異議のないところである。(五)の場合における併合罪を構成する数罪の各犯罪事実は、それぞれ公判廷で適法な証拠調をした証拠によって認定するを要することは、いうまでもないところである。

しかるに、(六)の累犯の場合における“前科”という事実は、従来は前述のように公判廷において適法な証拠調を経ていない証拠によって認定されても、違法でないものとされていた。その理由は、前に触れたように刑訴三三五条一項(旧刑訴三六〇条一項)にいわゆる「罪となるべき事実」に当らない、とするにある。なるほど前記(一)(二)(三)(四)の場合における刑の加重理由となる事実は、刑法各論の各本条において規定されており、かつ形式上は犯罪構成要件である一事実の観を呈するごとく規定されているが、その実質はかかる事実の存在を前提として(かかる事実の存在せざる場合に比し)より重い刑罰を規定したものである、ということができる。この意味においてこれらの規定は、何れも刑罰加重の規定である。のみならず、(六)の累犯加重の規定は、懲役刑を定めるすべての刑法各本条に共通するが故に、総則中に定められているが、実質においては各本条において定められたと異るところはない。それ故、(一)ないし(四)にかかげた事実については適法な証拠調をした証拠によって認定がなされなければならないと同様に、(六)の累犯加重における前科の事実もまた適法な証拠調をした証拠によって認定がなされることを要する、と解するが相当である。

裁判官斎藤悠輔の補足意見は、次のとおりである。

被告人の前科は、法律上刑の加重事由たる事実であって、判決主文の因って生ずる理由として判決において必ずこれを認定判示するを要するけれども、元来罪となるべき事実ではないから、必ずしも証拠によりこれを認めた理由を示す必要はなく、また、証拠によりこれを認めるにも一件記録中の適当な資料により認定するを妨ぐるものでないことは、既に当裁判所大法廷の判例とするところである(判例集三巻六号七三八頁以下、なお刑訴四四条一項、三三五条参照)。そして、本件記録によれば、第一審第一回公判において、被告人の前科についての供述記載のある被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書および被告人の身上調査書、前科調書、指紋照会回答書等につき被告人並びに弁護人の同意を得て適法な証拠調をし、なお、裁判官は、被告人に対し右前科調書を読み聞かせた上被告人の前科はこの通り相違ないかと質問し、被告人は、その通り間違いなく、前科は全部務めた旨答えたことを認めることができる。そして、原裁判所は、第一審の右資料を以て不充分なりと認め、刑訴二七九条により職権をもって検察庁に照会を発し、その照会による横須賀区検察庁より名古屋高等検察庁宛の電信の訳文書及び被告人の前科調書を裁判所に提出させ、これを公判に顕出することなく、この照会による訳文書及び前科調書と第一審において取り調べた前科調書および指紋照会回答書を資料として判示前科を認定したものであることを知ることができる。されば、右照会による訳文書及び前科調書を原審公判に顕出して証拠調をすることなくこれを前科認定の資料の一部に供したからといって違法といえないこと前記判例に照し明白である。

裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

判決は「罪となるべき事実」を認定するには公判廷に顕出され法定の手続で取り調べられた厳格な証拠があることを必要とし、証拠の標目を判決に示さなければならない。しかし累犯加重の要件たる事実は「罪となるべき事実」ではないからこれを認めるには本質上必しもかような厳格証拠によるを要しない。これは罪責の有無を決する事実でなく、刑の量定の法律上の範囲を決する事実、すなわち刑の加重減免の事由だからである。従来英米でも欧大陸でもこの事実に関する証拠は罪となるべき事実ほど厳格な証拠を要求されない。しかし、「事実の認定は証拠による」との原則(旧大正一一年刑訴三三六、現刑訴三一七条)からいって、刑の減免殊に加重の事由を判決で認定する以上罪となるべき事実に準じて「証拠」によらなければなるまい。この証拠の標目も判決に掲げなければなるまい。しかし、この証拠とその取調手続は罪となるべき事実に関するものほど厳格なるべきか、自白のみによってかかる事実を認めても合憲ではないか、また、この証拠の標目を判決に掲げなくとも判決破棄の原因とならないのではないか、は一の問題であろう。本判決はこの問題に答えないが、「かかる前科の事実は、刑の法定加重の理由となる事実であって、実質において犯罪構成事実に準ずるものである」とし「これが証拠書類は刑訴三〇五条による取調をなすことを要する」というのである。

私見によれば、その意味は、性質上は刑訴三〇五条に「準ずる」取調をするをもって足りるが、実践的には同条によるほかない、ということであろう。そして、このことは現行刑訴法の当事者主義、起訴状一本主義の精神に適合するのである。

旧刑訴法にも刑訴応急措置法にも起訴状一本主義(現刑訴二五六条六項)はなかったから、前科調書を含む全捜査記録は起訴状と同時に裁判所に提出され、その時から裁判上の証拠方法となり、また、検察官も裁判所も公判廷外で前科調書を提出し或は取り寄せて記録に編綴することによりこれを(これについて公判廷で被告人に意見弁解反証提出の機会を与えることなしに)判決における前科認定の証拠とすることが許された。これは「罪となるべき事実」の証拠ではないから「一件記録中の適当な資料」により認定するを妨げない(昭和二三年(れ)七七号同二四年五月一八日大法廷判決、集刑三巻七三四頁)とされてよかった。現行刑訴法下で問題となるのはかような累犯加重事由の証拠の裁判所の面前への現われ方である。現行法では、裁判所は最初起訴状を知るのみで前科の証拠は公判の事実調の後部段階で当事者から公判廷に顕出されるべきものであり、被告人側がこれについて意見弁解反証提出の機会を与えられず、知らない間に判決における累犯加重事由認定の証拠とされる如きは公明でない、誤認の危険ある、被告人の権利保護上避けらるべき方法であると解すべきである。若しそれ前科調書が控訴審公判廷で始めて提出された場合に至っては、被告人本人が不出廷でも弁護人によってこれにつき防御が行われれば足りると考えられる余地なしとしないが、本判決はそれをも許さない趣旨と私は解する。前科の証拠を取り調べ得ない場合には前科なき者として処断すべきである。本判決は現行刑訴法下の累犯加重事由の証拠についての判例であるから、刑訴応急措置法旧刑訴法時代の判例を変更したものではないと考える。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一)

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